親が老いてきて介護生活が長くなってくると、身の回りの介護以外にも気を病む事柄が増えてきたりします。
たとえば高齢者の中には、「もう先が短いのだから」と悲しい顔をしながら「あれを食べたい」「そこに行きたい」と次から次へとおねだりをしてくる人がいます・・・。
抑圧してきた人もいる。わがままな人もいる。
感動の映画など見ていても、「親の最期の願いを全力で叶えてあげる」といったエピソードで涙を誘うものがあります。こうしたものの影響で、「親の願いは叶えてあげるべきだ」と気負ってしまう人は多いようです。
いえ、もう少し冷静になりましょう。
世の中には、仕事や家族の世話に自己犠牲をして、自分の快楽を抑圧してきた人がいます。
親御さんがそのような人だったのならば、「車イスになっちゃったけどフランスに行ってみたい」といった願いを叶えてあげるのも良いでしょう。
しかし、世の中には、いつも当然かのように「あれが食べたい」「これが欲しい」「どこどこに行きたい」と言ってばかりの人もいます。
いくら定年を迎えた高齢者だからといって、こうした欲深い人のおねだりを幾つも叶える必要はありません。
「叶えてあげなくてよい」というか「叶えるべきでない」とすら言えます!
こうした人は、「もうすぐ死ぬんだから叶えて」と泣きつけば何でも叶えてもらえると、味をしめてしまいます。するとあなただけでなく他の家族や友人にも、孫にまで、「テスト前って午前中で学校終わるんでしょう?ばあちゃん寂しいから会いに来てよ」などとわがままをぶつけるようになってしまいます・・・。
「死期が近いから叶えるべき」という道理ではない。
「死期が近いから願いを叶えてあげるべき」という道理ではないのです。
世の中には、ものすごくわがままな人、ものすごく無欲で、人にものをねだらない人とがいます。
その人の人生全体を見渡して、「何か報いてあげたほうがよいな」「何かごほうびをあげたほうがよいな」と感じられるなら、願いを叶えてあげればよいでしょう。
「被介護者よりも介護者のほうが苦しんでいる」という状況を作ってはいけません!
介護者のほうが先に朽ちてしまうような辛い介護生活は、受け入れてはだめです。
介護者のほうが貯金を切り崩すような介護生活は、受け入れてはだめです。